062: 天から試されている逆風

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 人の本性が如実に現われるのは出会いより別れのときだ。

 出会いのときは満面の笑で丁重なあいさつを交わすのだが、いざ別れのときになると、ただのあいさつさえもできない人が少なくない。いつの世も非礼な奴は自分から世間を狭くしていく。自分の将来の芽を自分で積みとっていってしまう。

 世間は広いようで狭い。人脈や人間関係は縦横無尽に張りめぐらされており、思いもよらぬところで回り回ってつながっている。だから人の道をはずすと後でしまったとホゾをかんでも、時すでに遅しであちこちに敵を増やしてしまうことになる。まいた種は善きにつけ悪しきにつけ必ず芽をだす。別れのときは、出会いのとき以上に心をくだいて、ていねいにしなければならない。「立つ鳥後を濁さず」である。

 人の真価についても順風のときより、逆風のときにその人のほんとうの姿が現われる。逆風のときこそ心して前向きでなければならない。苦境のなかの頑張りは多くの貴重な、人生の宝物を手にすることができる。ほんとうの逞しさや優しさを育んでくれるし、お礼の言葉もない有り難さや人の情が身にしみて、人生を豊かに、味わい深いものにしてくれる。さらに生き生かされているという強い実感にひたることができる。また周囲の人についても、普段ではみることのできないほんとうの姿が分かり、人というものがよく見えてくるものだ。

 順風もよし、逆風はさらによしである。順風のときはおかげさまに感謝し、逆風のときは、いま自分が天から試されていると思えばいい。人生は長い、いろいろなことがあるがそのたびに一喜一憂していたら、心がくたびれ、人生がしぼんでしまう。その度に振り回され、流され、自分が不在になる。何が起きようとも、腹を据え、希望をしっかりと持ち続け、いま自分にできることに、集中して全力を尽すことだ。

 集中力からはもの凄いパワーが生れる。枝葉末節、つまらないことから心を解放し、一点にエネルギーを傾注していくと、結果は自分でも信じられないことが起きる。無我夢中とはこのことだ。

 さて新入社員の諸君、少しは仕事のむずかしさ、奥深さが分かりかけてきたことであろう。言っておく、百害あって一利なしの、くその役にも立たない不安や心配をもつことは無用なことだ。そんなヒマがあったら、商品の一つでもしっかり勉強しておけ。

平成十三年四月二十七日

思うままに No.197

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜



 <これまでがこれからを決める> 逆も真なりで
 <これからがこれまでを決める> その良し悪しの決め手は生き方如何による。

 昨日があるから今日がある。今日があるから明日がある。今日があるから昨日がある。昨日があるから今日がある。昨日も今日も明日も因果応報においては例外なく一本の糸で結ばれ切れ目無くつながっている。

 いつの日も結果の良し悪しはすべて原因による。よき結果を望まない人はいないが、その為には良き原因をつくる行いがあってこそと知るべしだ。良き原因は先ず自らの最善の努力に加え、それに共鳴し味方をしてくれる他の大きな力によってつくられる。

 この他の大きな力がおかげの力だ。

 表さまと言わずお蔭さまと言うぐらいだから、自分に見えない気がつかない、正しく陰の力だ。これによって人は多くを助けられ支えられている。お陰は言わば貸し手だからそれに甘えて借り手になりっぱなしでは、しまいには帳尻が合わなくなる。目先や対価にとらわれずに自分のできることでたまには貸し手に回るようにしなければ、おかげの力は愛想をつかしてやがて寄り付かなくなる。

 そもそもおかげは自ら種を播かなければ生えない。陰徳あれば陽報あり、情けは人の為ならずだ。善行は巡り巡って結局は知らず知らずのうちに自分に返ってくるものだから人には常に親切にせよということだ。少しずつでいいからおかげの貯金を心がけよう。このことをこつこつと積み重ねることによって頂ける有り難い賜物だから。

 想像を超えるこの力は過去から現在、未来にわたって幾世代へと続く。決して今日したからといって明日に直ぐ返ってくるものではない。日頃大した努力もせず、身から出るサビも人一倍多い小生だが、今日まで過分なおかげの力をもらっていることに改めて感謝と自省するところだ。

 ところで世間には恩を仇で返す。後足で砂を掛ける輩が少なくない。例えばよく刃傷沙汰に及ぶ事件が起きる。お金を貸した方が、あろうことか借りた方から無礼、危害を受ける。頼まれて親切にも仲裁に入ったところ、はじめのうちは感謝されるが最後には不条理にも双方から恨みを買われる等、全く許されざる所業だ。

 感謝と報恩は相互一対だ。これが、これまでもこれからも良し悪しを決める。必然的に因果応報は孫子、ひ孫の人生にもつねについてまわることは言うまでもない。

061: デジタル時代のアナログな触れ合い

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 昔から「坊主の言うことをなせ、坊主のすることをなすな」とあるが、仏の道、人の道を説くお坊さんでさえも言うこととすることはなかなか合致しないようだ。しかし世の中には地位も名誉も名もないが品性の高い立派な人がいる。

 誰に頼まれたわけでもなく、対価を求めるものでもなく、街のあちこちで、コツコツと永きにわたって清掃や人の世話などの奉仕活動をされている人たちにはただただ頭が下がる。

 以前のことであるが、一体こういう人はどんな人であろうかと興味もあって、失礼を顧りみず、愚問を承知の上で、一度尋ねたことがある。「いつもご苦労さまですね。ご無礼ですが、おじさんはどういう訳で、こういうことをなさっていらっしゃるのですか」するとおじさんは腰をかがめながら、ニッコリと会釈をされたかと思うと、また、額に汗を光らせて、黙々と道端の清掃に励んでいる。私の問いかけには一向に答える様子もない。

 しばらくしてから、まだそこにつっ立っている私に気づかいをされたのか、ようやく重い口を開いてくれた。独りごとを言うように小さな声でポツリと「恥しいがね、そんなこと聞かんでぇ」と。後で、変な聞き方をしてしまったなあと悔みながら、間の悪くなった私はその場を逃げるようにして立ち去った。ほんとうの教えとはこういうことだと思う。無言の行いは有言の行いと比べて、はるかに奥深く、重く心にずっしりと響いてくる。

 さて新世紀に臨み、決意も新たにチャレンジ二〇〇五(希望と豊かさへの挑戦)がスタートした。これからますますITの時代になるが、その技術革新は予想を超える速度で進化発展を遂げていくであろう。世界の名だたるIT産業のトップたちも異口同音にITはあくまでもひとつの道具に過ぎないと説いているところであるが、とどのつまりは文明文化の主人公は常に人間であるということだ。換言すればデジタル化が進めば進むほど、人間の本質であるアナログなふれあいが大事になってくるということだ。

 この弱肉強食の大競争の時代、生存の保証は誰も約束してくれるものではない。唯一の頼みは企業の自助努力しかない。その基は人づくりしかない。もはや一〇年ひと昔ではなく、一年一昔の大スピード大変化の時代だ。こういう時代こそチャンスもまた大きい。チャレンジがチャンスをつくりチャンスがチャレンジを待ち望む時代だ。

 その意味でふれあいを基本とする常備配置薬の配置販売業、さらに当社の戦略はまさに時代に即応したものだ。隣の芝生よりうちの芝生はず〜っと青いのだ。有り難いことだ。

平成十三年三月三十日

060: 礼儀と我慢は宝物

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 人間、自分で痛みや辛さを経験しないと、なかなか他人のそれは分からない。子供のとき甘やかされて育ってきたせいもあろうか、いつまでも幼児性の抜けきらない、年だけを重ねたオトナコドモも少なくない。そういう人の行く末はたいへんだ。こづかれ、しごかれ、叱られたりするなかで培われる耐え抜く力や骨身にしみる経験は、後のことを考えると貴重な財産になる。

 この頃は過保護、叱らない親、子ばなれのできない親、生徒と友達感覚の教師、やさしさと甘えを混同する人、見て見ぬふり、是は是、非は非と言えない人、マナーや身だしなみ等々心配なことだ。それを価値観が違うだの、時代が変っただのとたわ言をいう輩もいるが、問題の本質をすりかえてはいけない。

 何でこんなことが分からんのかと嘆いていても始まらない。いまの時代は家庭や学校に代って、企業がしつけをしなければならないのだ。時間はかかるが一にも二にも我慢強く身をもって教えこんでいくしかない。

 さて、よくものの本にほめてほめて叱るなどとあるが、実際は叱ることよりほめることの方がはるかにむずかしい。つきつめると、おおよそ人間は美点よりも欠点のほうがうんと多いようだ、数少ない美点をとりあげるわけだから、普段より、時や場所をかえ、いろいろの角度から、よく人を観ておかなければならない。ほめどころのツボをはずしたら、見え見えのお世辞やへつらいになり易い。ああ、自分のことをきちっと見ていてくれるなあと、的を得てこそほめる効果がある。

 他方、叱るほうは相手の為にと思えば思うほどにその材料にはこと欠かない。その都度、誤りを正してやれば、それはやがて美点に変っていくだけに、心底より期待をもって言えるものだ。

 また叱るということは叱られる人以上に、叱る人自信も我が身を振り返えられる。このところ、礼儀、あいさつ、身だしなみ、マナー、モラルが大いに気になる。ポケットの中に手を入れたままのあいさつ、頭を下げたかどうか分らないおじぎ、敬語の使い方、気分が悪くなるマイナス言葉、口の利き方、話の聴き方、お客さま宅での車の停め方、車や商品の取り扱い方、クレームへの対応、清掃、整理整頓、酒の飲み方等々。

 「企業は人となり」、社の品格は一人ひとりの品性によってつくられる。そのもとは礼儀にある。限りはないが常に思いを込めて臨んでいけば少しずつ高まっていく。

 ついこの間、横綱を引退した曙が長い相撲人生の中で一番身についた宝物は何かというインタビュアーの問いにこう答えている。「礼儀と我慢です」

平成十三年二月二十八日

思うままに No.196

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜


 ようやく厳しかった長い冬ともお別れだ。このところ新たな出発に向けて木々がニョキニョキと芽をのぞかせ新緑の準備に余念がない。いつも不思議に思うがその新芽は人間の赤ちゃんのように赤い。

 さて本日より新年度が始まるが、いつになく格別に思いが深い。社の将来を見すえるとき本年度は正念場であり、もっとも重要な年度になると考えている。社を刷新すべく、気分を一新し、目的目標を実現していくためには先ず力強いスタートダッシュが必要だ。ダッシュの勢いがさらに勢いをつくり周りを巻き込んで怒とうのごとく奔流になる。「花も嵐も踏みこえて行くが男の生きる道」いま戦場におもむく武者震いにも似た心境だ。

 人間は何としても実現させたいことがあると、時と所を忘れて一心不乱のとてつもない力を発揮する。いつだったか、誰だったか教えてもらった魔法の言葉「あおいくま」をふと思い出す。「あ」あせらず、「お」おごらず、「い」いばらず、「く」くさらず、「ま」まけず、「あおいくま」で行かなければと。

 過日、我が母校亀崎中学校の卒業式に出席する機会を得た。思うにいかなる賞賛をもってしてもしきれない素晴らしい式であった。会場の体育館は本校の全生徒、先生、父兄、来賓で満席。ピーンと張りつめた心地よい緊張感、厳粛で格調高く親愛の情に満ち溢れる。次第通り式は滞りなく進行していく。

 圧巻は二年生による<送別の辞>を受けての<答辞>は卒業生を代表して女子生徒。今日までお世話になった先生、父兄、地域の方、そして同窓の仲間に向けての別れの言葉、胸を打つ感謝の言葉、残る後輩への期待、新しい旅立ちに向けての自分たちの思いを切々と朗読する。

 純粋にして率直、心底からこみ上げてくる深い思いに感極まり、時おり涙にて声をつまらせる。会場いっぱい涙また涙が伝播する。映画のワンシーンのようであるが、いかなる名女優でも、これだけ聴衆の心を打つことはできないであろう。感動、感激、感涙そして感謝の嵐がうず巻く。この先、幾多の困難に出会うことであろうが、167名の諸君が志を高くもって進んで行って欲しいと心より願いたい。

 因みに彼らを立派に育んできた本校の校訓は<公正・自律・敬愛>である。この校訓、当社の社訓にしてもいいように思うぐらいに素晴らしいものだ。

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Author:山田正行
株式会社中京医薬品社長・山田正行の個人ブログです。

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